洞門くぐり 白虎隊が飯盛山へ至った水路、戸の口堰洞穴

洞門くぐり、白虎隊が飯盛山へ至った水路観光、店巡り
洞門くぐり、白虎隊が飯盛山へ至った水路

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猪苗代湖から水を引いている水路を年に一度止めて点検していました。
震災以前、水を止めた際に白虎隊が飯盛山へ至った洞門の一部を見学できる事ができました。
これは2009年の記録です。
確認すると洞門くぐりは再開されているようです。
2019年の募集
水を止めた時にしかくぐれませんので、貴重な体験になると思います。

飯盛山、洞門くぐり
飯盛山、洞門くぐり

洞門を入る前にお話を聞きました。
白虎隊の全行程を歩くわけではありません、飯盛山に至る最後の洞門になります。

飯盛山、洞門くぐり
飯盛山、洞門くぐり

現在の洞窟水路はきれいにコンクリートで固められた水路で、途中の2箇所に白虎隊が通った洞門が見えるようになっています。

飯盛山、洞門くぐり
飯盛山、洞門くぐり

白虎隊が通った時は水も流れていたでしょうし、明かりもなかったでしょう。
白虎隊は16歳から17歳の武家の男子で一番隊と二番隊で構成された部隊で、戸ノ口原へ行き戦ってこの洞門をくぐったのは二番隊の隊士になります。

飯盛山、洞門くぐり
飯盛山、洞門くぐり

猪苗代湖からの水路は、1623年に着工、1837年に飯盛山洞門が貫通、1838年に会津若松城下まで用水できるようになったようです。

飯盛山、洞門出口
飯盛山、洞門出口

普段は水が流れてます。たまたま観光に来た人には残念かもしれません。

飯盛山、戸の口堰洞穴案内
飯盛山、戸の口堰洞穴案内

戸ノ口堰洞穴の案内立札
『今から400年前元和年間猪苗代湖の水を会津地方に引くため郷士八田氏が起工し、元禄年間まで工事が続けられ後天保3年会津藩士佐藤豊助が藩命により飯盛山の山腹約150mを人工的に穴をあけ、水田2500ヘクタールの灌漑に供し使役人夫5万5千人と3ヶ年の歳月を費して遂に完成した。
白虎隊士中二番隊は戸ノ口原に布陣している味方軍応援のため派遣されたが戦に利あらず、お城の安否を確かめようと帰城の途中隊士20名が通過した洞穴である』とあります。
元和(げんな)は、1615年から1624年。
天保3年は1833年です。

戸ノ口堰洞穴 所在地、地図

名称:戸ノ口堰洞穴
所在地:〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢160
場所:

コメント

  1. 石上 玄 より:

    ナイス

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