コロナ禍の告別式と火葬

会津若松市 火葬場生活雑記
会津若松市 火葬場

叔母が亡くなりました。
コロナ禍もあって、通夜も告別式も会津若松だけの親族だけで行うという段取りで進みます。
遠方の親族には連絡だけで来なくてもいいという話をしていますが、比較的近隣の人となると訪れる人が後を立ちません。
会食はなく、折り詰めやら弁当をお渡しして家で食べてもらったりになります。
葬儀場からも、近所の使いの際には「家族葬なのでご焼香だけで式に参列されなくて良いことをお伝えください」と念をおされます。

菩提寺の住職の手術と重なって、通夜も告別式も住職の息子さんが名代で取り行いました。僕達も親の名代で参列。住職の息子さんは別寺で住職をされていて、聞けば阿弥陀寺(あみだじ)とか、会津では有名な寺です。
阿弥陀寺は戊辰戦争戦死者が埋葬(東軍墓地)されており、斉藤一の墓、萱野権兵衛遥拝碑もあります。戊辰戦争は、徳川慶喜を擁する「旧幕府軍」と、薩摩藩・長州藩を中心とする「新政府軍」で争われた一連の戦争のこと。会津は1ヵ月に及ぶ籠城戦の末に降伏しました。
斉藤一(さいとう はじめ)は
幕末期、新撰組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務めました。
その後、御陵衛士に入隊。ここで、新撰組から離れます。
戊辰戦争では旧幕府軍に従い新政府軍と戦います。
明治維新後警視庁の警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦ったという、全国区で有名な人。
閑話休題

火葬場も同じです。待っている間の飲食は控えられ、一人分ずつのお弁当を食べました。
会津の火葬場周辺では、最近、猪が出ているという話で館内放送で注意が呼びかけられていました。
暑い日です。

叔母は、僕を名前でちゃん付けで呼んでくれる人でした。
僕を「ひろちゃん」って呼んでくれる人はもういません。
僕の人生も少し寂しくなります。
叔母の冥福をお祈りします。

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