土津神社(はにつ神社) は、保科正之は、会津 松平家初代藩主
保科 正之(ほしな まさゆき)は江戸幕府二代将軍・秀忠のご落胤。
初代将軍・徳川家康の孫。三代将軍・家光の異母弟にあたります。
高遠そば(たかとおそば)、名前の由来。蕎麦の美味しさの理由
に書きましたが、保科 正之は徳川 秀忠の隠し子で、現在の長野県伊那市にあった高遠藩(たかとう 藩)の保科 正光によって保科 正之として養育されました。その後、出羽山形藩へ移封、更にその後、陸奥会津藩へ移封されて会津へやってきました。
会津松平家の始祖
保科 正之は会津松平家の始祖とも呼ばれます。
正之死後の1696年、3代正容(まさかた、正之の子)が松平を称するようになったのですが、保科 正之が松平姓の名乗りを固辞し続けていた事によります。
松平家は、徳川姓を名乗った御三家・御三卿以外の徳川家康の男系男子の子孫は松平を名乗りました。そもそもで言えば、松平 家康が徳川改姓を行った際、家康一家のみが徳川姓を名乗り、他の松平諸家の姓は松平に留めた事から、松平姓は徳川氏の親族としてではなく家臣の格として、広く用いられたようです。
詳細は、会津松平家Wikipedia、松平氏Wikioediaをご覧ください。
こどもと出世の神さま ご利益
土津神社は「こどもと出世の神さま」が祀られている神社として知られています。
主祭神である保科 正之が、不遇な生い立ちから、高遠藩3万石から出羽山形藩20万石に加増移封、その後に陸奥会津藩23万石へ加増移封となり、徳川家への忠義の心が篤く優秀で江戸幕府大政参与まで引き立てられた事に由来するものです。
土津神社 公式:ご神徳/ご利益
土津神社(はにつ神社) 名の由来
寛文11年(1671年)保科 正之が、神道家 吉川惟足(よしかわ これたり)より吉川神道の奥義を授けられた際に「土津(はにつ)」の霊神号を送られたことに由来しています。
翌寛文12年12月18日(1673年2月4日)に保科 正之、死去。
土津神社Wikipedia
土津神社 案内図
表参道から入ると、まず真っ白な大鳥居があります。
くぐって進むと、左手に奔雷瀑(ほんらいばく)と蛙石(かえるいし)があり、耳を澄ますと水音がよく聞こえます。
男坂を登り、左に社務所、御手洗(手水舎)と続きます。
右には巨大な石碑があります。
再度、石段を登ると拝殿です。
拝殿を右に行くと、奥の院へ続く道があり、約500m、15分ほど坂道を登って奥の院へ着きます。
以下では、
「夏越大祓・茅の輪くぐり 6月、7月」
「紅葉参り」
「冬景色、雪景色」
と季節毎に参拝した様子を紹介します。
夏越大祓・茅の輪くぐり 6月、7月
夏越祓(なごしのはらえ)の時、神社の参道に設ける、チガヤで作った輪。これをくぐります。
茅の輪をくぐることによって、生活の中で知らず知らずのうちについてしまった罪汚れを祓い除け、災害を被らず健康で幸せな生活が送れるように清らかな身と心に戻します。
大祓とは、人が知らず知らずのうちに犯した罪・穢れを半年に一度祓い清め、疫病を予防し、健康で幸福に過ごせるよう祈念する神事です。
6月の末に訪れました。
白大鳥居
抜けるような青空に白い大鳥居が映えます。
男坂
写真の左手、石段の手前に奔雷瀑(ほんらいばく)と蛙石(かえるいし)があります。
風鈴
冷涼、風鈴が設けられていました。
その奥に見えるのが「茅の輪」(ちのわ)
茅の輪
茅の輪くぐりの作法が貼られていました。
形代(かたしろ)でのお清め
「人」「車」「ペット」用の形代(かたしろ)が用意されていました。
初穂料 100円
最初、納める場所が分かりませんでしたが、形代の入った同じ箱のに穴が開けられています。
案内はありませんが、その穴に初穂料を納めました。
穢れを遷した形代は後にお焚き上げされます。
形代Wikipedia
Wikipediaによれば、形代は海や川に流すらしいです。焚き上げるのは、神仏習合で混用されたとされています。日本では神仏習合が根深く、多くの人にとっては区別の薄い話なので、信じて、「人形代」を行いました。
人形代には名前と年齢を書きます。
体を撫で、息を吹きかけて、内外の穢れを遷します。
作法は案内されていました。
拝殿
紅葉参り
どうでもいいけど(よくないけど)、神社の本殿(拝殿)の写真がない!どっ、どういうことですか。
(最近、撮り漏れが多くて困った)………雪景色の中での参拝に、拝殿の写真があります。
由緒ある神社で、紅葉が有名です。この日も沢山の人が来ていました。
白大鳥居
白い大鳥居は珍しいです。会津には他に見た覚えがありません。
鳥居のサイズも会津では巨大です。
鳥居から内側へは一礼して入るのが丁寧な作法です。
罰当たりな事にいつも忘れてしまいます。
奥に見えるのが男坂
奔雷瀑(ほんらいばく)、蛙石(かえるいし)
奔雷瀑(ほんらいばく)、蛙石(かえるいし)案内
– 案内板より –
「奔雷は激しく鳴るという意味で、以前は水量が多い滝でした。
現在も境内の趣を深めるとともに、参拝者の心を鎮め、心身を浄化しています。
滝のそばでは、縁起物の蛙石が参拝者をお出迎え、お見送りします。」
動画で撮ったものを確認すると、水音が意外としてびっくりです。
あれ、単にボリュームが高いだけなん?
土津神社(はにつ)、奔雷瀑(ほうらいばく) pic.twitter.com/WzaHrVB3v3
— r2fish (@r2fish1) November 11, 2021
奔雷瀑(ほんらいばく)の横手にあった社
手水舎(ちょうずや)、花手水
花手水(はなちょうず)になっていて美しい。
案内では「御手洗」(みたらし)
拝殿で参拝を行い。右手へ向かいます。
奥の院 保科正之墳墓
拝殿の右手には「奥の院」への道があります。
小さい社が並ぶ、その奥です。
奥の院参道
土津神社(はにつじんじゃ) 奥の院参道
手水舎の跡。井戸になってようです。
奥に見えるのが奥の院
入ることはできません。
土津神社(はにつじんじゃ) 保科正之墳墓
更に奥に鎮石が見えます。
鎮石が少し見えます。
紅葉を目当てに訪れる人も多く(その一人ですが)
人通りは途絶えません。
冬景色、雪景色
白大鳥居
木に雪が積もっていないのが幸い、雪景色にも白い大鳥居がよく見えます。
白大鳥居のアップ。
紅葉の季節には参拝者が後を絶たず写真を撮るのが大変でしたが、冬に訪れた時には閑散としていました。平日ということもあると思います。
帰る時の、反対から見た白大鳥居。
奔雷瀑(ほんらいばく)、蛙石(かえるいし)
手前の石が蛙石(かえるいし)。
奥に枝でよく見えませんが、奔雷瀑(ほんらいばく)になってます。
手水舎
手水舎は参道から本殿に向かって左に少し奥まったところにあります。
案内板も見えます。奥には宝仏殿らしき建物も見えます。
見るからに冷たいです。
本殿
本殿参道
秋の参拝では、参拝者がいい感じで抜けるのを待っているうちに撮り損ねていました。
参道の中央は神様が通る道です。
よって人間は中央を避け、端を歩くのが古来の作法です。
横切らなければならない時は一礼をして横切ります。
写真を撮るのに夢中で、礼もせずに横切ってばかりいます。ごめんなさい。
白い布がかかっています。
風雪除けのようでした。
本殿でお参りしました。
奥の院への参道
除雪されてなくて、本殿からは行けないようでした。
御朱印の案内
御朱印の案内
何種類もあるようです。
御朱印をもらうことはなかったのですが、最近、文房具屋さんでは御朱印帳を見てしまいます。
場所、アクセス、地図、公式サイト
名称:土津神社所在地:〒969-3102 福島県耶麻郡猪苗代町見禰山3
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