叶津番所(長谷部家住宅)、旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津名所
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

タイトルに長谷部家住宅とか、五十嵐家住宅とかありますけど、おウチ拝見記事ではありません。
これらの住宅は古民家で、国や県から指定を受けた「指定重要文化財」。
往時の状態で復元、保存されている建物です。
観覧無料、昔の生活を垣間見れます。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 と旧 五十嵐家住宅 の案内板 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 と旧 五十嵐家住宅 の案内板 只見町 奥会津

建物 外観

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

ブルーシートが残念な写真ですが、ご容赦ください。

建物は江戸時代後期のもの。
家主は長谷川家(はせがわ け)で、名主でした。
名主(なぬし)は、この地域を統括し、年貢を収めたり戸籍を管理したり、会津藩からの公務を行っている家です。
会津藩と越後長岡藩との藩境にあった事から、宝永元年(1704)以降、建物が番所として兼用されました。さらに、享保13(1728)以降は長谷部家が番所務めも行いました。
番所(ばんしょ)は、交通の要所に設けられて、通行する人や荷の検査などを行った所です。
住宅兼用でしたが、番所でもあった事から叶津番所 (かのうづ ばんしょ)と呼ばれました。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

建物は、坂本さんという方が私有財産で保存され使われていましたが、2021年から只見町所有となり、現在に至ってます。
というわけで、プロパンガスが見えます。
今も人が住んでいるみたいな雰囲気があります。
きちんと保存されていた証です。
写真、右側2Fは、使用人の休憩室の窓です。
念の為申し添えると、江戸時代はガラス張りではありません。

建物 内観

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

土間上がりが縁側作りで奥の部屋につながってます。
雪深い地であるからか、外側に向かっての縁側はありません。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

大内宿などに類似の部屋を見たことがあります。大きな部屋です。
分家玉や 古民家カフェ 大内宿ー飲食スペース
写真、奥の右側が入ってきた入り口 (襖の空いているところが内縁)。
奥の左側が、奥座敷と上段の間で、藩の役人などが利用しました。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 神棚 大黒様 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 神棚 大黒様 只見町 奥会津

大黒様が祭られてます。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 神棚 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 神棚 只見町 奥会津

こちらも神棚。
大内宿の改装された古民家も、この位置に神棚がありました。

奥座敷、上段の間 藩の役人が利用した部屋

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

奥座敷に入ると、更に一段上がって上段の間。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 上段の間 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 上段の間 只見町 奥会津

負傷した長岡藩家老 河井継之助がこの部屋で一晩を過ごしたとされています。
河井継之助 記念館 只見町 奥会津 福島県

娘の部屋

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 娘の部屋 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 娘の部屋 只見町 奥会津

「娘の部屋」と案内されました。
2Fです。
写真の背側に窓がありますが、格子があって侵入防止になっているとか。
箱入り娘ふうの部屋です。出入り口になるのが階段だけなので、まさしく「箱」って感じの部屋なのです。
江戸時代の灯りは行燈(あんどん)で植物油や魚油を燃やしてましたが、それはそれで高価なので、日が登ったら起きて、日が沈んだら寝るような生活がされたと思われます。

後述で女中部屋があります、見比べてください。

土間の上の部屋、物置

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

建物が大きいので、土間の上に部屋があります。
部屋と呼ぶべきか物置かはよくわかりません。
現代風に見ればフローリングの部屋な感じです。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

奥には部屋もあります。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

一間(いっけん)の襖の奥が使用人の休憩部屋。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

使用人の休憩部屋。
狭くても休憩室、あるだけいいです。
昔の工場とかには畳で横になれる休憩室があったかもしれませんが、最近の工場には無いような気がします。

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津
叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 只見町 奥会津

民具などを見ることができます。

旧 五十嵐家住宅

隣接して、旧 五十嵐家住宅があります。
道路から見ると、叶津番所(長谷部家住宅)の奥、裏手、南側で、徒歩で行けます。

旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津
旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津

叶津番所 (かのうづ ばんしょ) 旧 長谷部家住宅 ほどでは無いにしても大きな建物です。

旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津
旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津

1718年に建てられた古民家で、福島県内では一番古いものです。
1973年(昭和48年)にこの地に移転、保存されています。

旧 五十嵐家住宅 平面図 只見町 奥会津
旧 五十嵐家住宅 平面図 只見町 奥会津

平面図
説明には「本百姓民家」とあって、本百姓の下に小作人 (水呑百姓)がいます。
流石に水呑百姓の民家が残っていることはないのでしょう。

旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津
旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津

こんなガレージが欲しい。
住宅と言っても住むだけの家ではないのがわかります。
物流も十分でない時代、物置や作業場として使われていたでしょう。

旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津
旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津

重機のない時代、人の手だけで建てられたのが凄い。
どんな生活だったのだろう。
想像もできない。

旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津
旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津

板敷。
平面図では「ざしき」となっています。

「座敷」は本来「座具(即ち畳)を敷いた部屋」を意味していたが、鎌倉時代中期に鎌倉における上層武家住宅で、客を迎え入れて酒宴などを開く部屋を指すようになった。その後、座敷を中心とする住宅が普及し、そのような住宅の建築様式は書院造と呼ぶ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E6%95%B7

本当は畳敷きだったけど外されているだけなのか、謎。
畳が現在の形になったのは奈良時代。畳は日本独自のもので伝来品ではありません。
「座敷」の引用にもあるとおり、部屋全体に敷かれるようになったのは、鎌倉時代以降で建築様式が「書院造」になってから。
庶民に普及し始めたのは江戸時代中期以降とされますが、この「庶民」定義は不明。

旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津
旧 五十嵐家住宅 只見町 奥会津

平面図の南東に書かれている、土間と部屋(写真、奥)

復元古民家はこちらにもあります。
奥会津博物館 移築古民家も見応えあり 南会津町観光

場所 住所、地図、ナビ用リンク (行き方/ アクセス)

名称:叶津番所
所在地:〒968-0415 福島県南会津郡只見町叶津居平456

叶津番所(長谷部家住宅) への ナビ用リンク (上記Mapのルートと同じリンク)

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